十勝教育研修センター「性教育」アンガーマネジメント講座(2012年10月)

ルミエール時間

今日は、十勝教育研修センター講座「性教育」の中で、アンガーマネジメントを中心にコミュニケーションスキル等をお話させて頂きました。

 

 

先生方、お忙しい中、3時間の講座、本当にお疲れ様でございました。

 

 

性教育」でアンガーマネジメント?と思われるかもしれませんが、

「性」は、男女の別だけにあらず、生きる心の在り方であったり、

究極は、一人一人が「私らしく」生きていけることでもあると思っています。

 

講師業から離れた現在、こうしてまた現場の先生方にお伝えできる場が与えられていること、本当に有り難く思っています。

 

通常、アンガーマネジメントをする際は、アンガーマネジメントだけを扱い、だいたい衝動的な行動のコントロールについてとアンガーログ(怒りの日記)の記入に留まるのですが、今回は、現場の先生方ということもありまして、伝え方を変えました。

 

①「怒り」の感情の仕組みを知る(自分の怒りの振り返り):アンガーマネジメント

②「怒り」を表現する(対相手):アサーション

③「怒り」に任せない・巻き込まれないコミュニケーション(対話)の提案:トランセンド教育&メディエーション

 

の3点を繋げてお伝えしました。

普通は、①、②、③は別個独立して伝えられることが多いのですが、今回は、学校現場の目指すところを考えたときに全て必要になって来るであろうということで、情報提供も踏まえてお伝えさせて頂きました。

 

※アンガーマネジメントとは、「怒り」に適切に対処する知識・技法・トレーニングをいいます。 


私は、もともと法教育・人権教育として、「怒り」の感情のワークや、アサーションデートDV防止教育プログラム、メディエーションについて「法学」や「憲法」の授業の中で学生達にお話をしてきました。

アサーション:さわやかな自己表現、互いに尊重し合うコミュニケーションでもあります。

メディエーション:裁判外での紛争解決をいいます。

 

 

 

カウンセラーになったのも、きっかけはデートDVの被害にあった女子学生の相談に乗ったことがでしたし、学校内でいじめの問題があったときにはメディエーションの手法を用いて解決を図ってきました。



私の中で、コアビリーフがあるとすれば、「正義感」。

※コアビリーフ:譲れない価値観、判断基準などをいいます。

育った環境や繰り返してきた転校の中で、築かれた自分でもあります。



いじめ、仲間はずれは、私の中では見逃せないこと。

みんな仲良くできたらいいのにという気持ちが大きかったせいか、私はいじめられている子に話をしたり、仲を取り持ったり、相談に乗ったり…多分、自分の居場所が「学校」しかなかったので、その居場所を守りたかったというのがあったのかもしれません。



いじめられている子をかばって自分に向けられたときは、相手はそこまでの力量しかないと思っていましたし、間を取り持とうとしてどっちの味方なの?と言われることもありました。だって、どっちも友達だから仕方ありません。ケンカしようとも思っていませんし、嫌いでも無いのですから、こういうときは、みんなを呼び出して、思いの丈を話してもらいました。

 

そういえば、小学6年生の時に、クラスの女の子の靴が無くなったことがありました。

自分だったら…と思うと、居ても立ってもいられなくなり、四方八方一生懸命探しました。

それを見ていたクラスの子の一人が、一生懸命さが理解できずに「あなたが隠したんじゃない?」と疑いをかけられたことがありました。

 

…正直、ショックでした…

 

でも、どこか、誰かが証明してくれることはできないかもしれないけれど、私自身がウソだということをわかっているという強い気持ちがあったので、違うとハッキリ言って、ショックだと伝えた上で、言いたいなら言わせておこうと思いました。



その直後、見つかったそうです。

しかも、その子がうっかり自分でいつもの違うところに忘れてしまったとのこと。

 

疑いは晴れましたし、いろんなことを思う人がいるんだなとも思いました。

 

それで疑いをかけた相手を恨むのも自由、許すのも自由…

 

すべて自分の選択です。

 

ショック感は多少残りましたが…



靴が無くなったのが私だったら、一緒に探してくれる人がいたら嬉しいだろうし、一生懸命探してくれたら本当に助かる…と思ったので、その通りにしただけなんです。



クラスでいじめがあったとき、クラスの女子のほとんどがムシをしていましたが、自分が直接されたわけでもないのにムシするのはおかしいと思っていました。大衆心理ではないですが、大きいものに巻かれるというのは、世の中もそうなのかもしれません。



学校って、先生がいないところでも、色々な人間模様を経験することができる場所でもあります。

 

一方で先生という大人の一言で救われることもありますし、逆に嫌いになって全てを放棄してしまいたいくらいの気持ちになることもあります。担任であればなおさらですし、保健室の先生というのも子ども達にとっては大切な存在になることもあります。



今回は、養護の先生がほとんどでした。

 

だからこそ、色々なことを盛り込んでお話をさせて頂きました。



きっかけ作りしかできませんし、情報提供という形になったかもしれませんが、それを機に、何を持って取り組んでいこうか、学びを深めていこうか…ということにも繋がっていくように感じています。



それに、スキルはその人自身が繁栄されます。

頭で理解しがちな人は、心がなかなか通じ合えなかったりします。

心で語る人は、温かいエネルギーが周りを取り囲みます。

 

同じことを学んでも、100人いれば100通りあるということです。



今回、ワークの時には、あえて○○学校 教諭 ○○○○ という名札から、呼んで欲しい名前に変えてワークをして頂きました。

直接そう呼ばなくても、安心感が生まれますし、職業とか肩書きをとっぱらって、一個人として参加して頂きたかったということもあります。



普段の構えがなかなか取れずにいらっしゃる方もおりましたし、教員の世界では、なかなか難しいのかもしれません…それにこの数時間の講座の中で、取り払うことも慣れていないとできにくいことかもしれませんし。



私自身も講座を受けられる人数分学びがあります。



残念ながら、全てのニーズに応えることはできませんが、後からフォローすることが可能です。

でも、連絡を下さるか否かはその方次第です。

 

日頃から私自身もワンパターンにならないようにと、研鑽を積んでいかないと…と思っています。



一人一人がより良く生きていける社会の実現を目指して、

これからもできることから取り組んでいきたいと思っています。

 

ナガナワ フミコ